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山路 愛山

 夫れ文武の政、布て方策に在りと雖、之を活用するの政治家なくんば空文となりて過ぎんのみ、憲法はスタイン先生をして感服せしむるも、民法は「コード、ナポレオン」に勝ること万々なるも、国会は開設せらるも、鉄道は網の如くに行渡るとも、之を利用するの政治家、実業家にして、依然たる封建時代の御殿様たり、御用商人たらば憲法も亦た終に何の律ぞ、鉄道も亦終に何の具ぞ、昔し蕃山熊沢氏は曰へり堂宇伽藍の巍々たる今日は即ち是れ仏教衰微の時代也と、宣教師は来りて雲突計りの「チョルチ」を打建るも、洋々たる「オルガン」の音、粛々たる説教の声、如何に殊勝に聴ゆるにもせよ、宣教師にリビングストーン氏的の精神を見ること能はず、説教者にパウルノックスの元気旺せずんば是れ唯規に因て線を画くのみ、焉ぞ活動飛舞の精神的革命を行ふを得ん、さなきだに御祭主義なる日本人を促して教会を建て、「オルガン」を買ひ、「クワイア」を作ることを惟務むるが如きは是れ荘子の所謂以レ水止レ水以レ火止レ火ものなり、思ふに日本の今日は器械既に足れり、材料既に備れり、唯之を運転するの人に乏しきを患ふる耳。

 其夏余再び上京す。一日桜井氏が本郷の小楼に在り、座上一客を見る。桜井氏之れを予に介して曰ふ。即ち蓬莱曲の作者北村透谷君也。余が交を透谷君に訂せしは是を始めとす。
 余をして遠慮なく白状せしめば透谷君は今日に比類少き好人物なり。彼れの中には一点の邪念なし。彼れは容易に人の言ふ所を信じ、容易に人の長所に服せり。彼れは人に対して最も深き同情を表し得べき人なり。かゝりしかば余は心より其人と為りに服せざるを得ざりき。斯くして二人の交は成れり。
 既にして君の文名は朋友の間に喧伝せり。君は先づ深邃なる批評家として著れ、更に無韻の詩人として著れ、更に理想的の劇曲家として著れんとせり。
 吾人皆望を君に属せり、而して君は吾人を舎てゝ去れり。予は文壇に於て最も多く君に攻撃せられたり、私交に於て最も多く君に親しまれたり。

 詩人は多く鳥獣草木の名を知る。詩人は自然の韻府なり。然れども彼れは科学者の如くに自然を分析する者に非ず。彼れは自然の意味を知る。花鳥風月、渾て是れ自然が自己を彰はすべき形式たるに過ぎざるを知る。彼れは物質と機関との排列として自然を見る能はず、大なる意味、不思議なる運行を遂ぐる者として之れを見る。
 是に於て乎、応さに知るべし、詩人は一の奇蹟なり。彼れは学校にて製造し得べき者に非ず、他人の摸倣し得べき者に非ず。彼れは詩人として生れたり、彼れは詩人の骨を有して世に出でたり。宇宙は自己を歌ふべき者を生みたるなり。「処女妊みて子を生まん」其名は天地を讃る者、人生を慰むる者。
 果して然らば詩人は終に論ずべからざる乎、何ぞ其れ然らん。天如何にして詩人を生ぜし乎、是れ固より知るべからざる者なり。世如何にして詩人を起す乎、是れ或は揣摩すべき者なり。上天の事、生死の事は人智の達し得べき所に非ず、世界が詩人を遇し詩人が世界に対する状態に至つては必しも知り得べからざることにはあらず。